信州 松本 美ヶ原温泉 鄙の宿 金宇館

HOME >> 日記帳 >> 日記帳|信州 松本 美ヶ原温泉 鄙の宿 金宇館 » Blog Archive » 旅館と私

 

 

 

2019年08月24日

旅館と私


\オープニングスタッフ募集/

 

今年の3月から始まった本館改修・浴室棟新築工事「Next 100 year」ですが、早くも5ヶ月が過ぎました。北村建築設計事務所さん、滝澤工務店さんはじめ、毎日大勢の職人さんのお力のお陰で滞りなく順調に工事が進んでいます。心より感謝申し上げます。

 

そして工事が進めば進んだだけ再スタートの日程が迫ってきます。リニューアルオープンは20204月を予定。私の方はそのスタートラインに一緒に立ってくれる仲間をそろそろ本気で探していかなければなりません。

 そうは言っても当館のような名前も知られていない小さな会社に募集要項だけ見て人材が集まるわけありませんし、ましてやこのご時世、どの業種も人が欲しくて困っています。

そこでまずは当館のことを色々、良いことも悪いことも過去も未来も知ってただきたい との想いから、宿のことや私たちのこと、旅館の仕事について日々考えていることなどを近い未来に一緒に働く仲間に向けて書いていこうと思います。少しでも当館のことを知っていただいて、働いてからのギャップも解消できればと思っています。

まずは旅館と私のお話から。少々長文ですがお付き合い下さい。

 

「旅館と私」

 こんにちは。金宇館4代目館主の金宇正嗣です。昭和3年から続く温泉旅館の次男として生まれて宿を継ぎました。今年36歳。なんで次男なのに宿を継いだのですか?ってよく聞かれるんですが、特に決定的な「何か」があった訳ではないんです。ただ小さい頃から宿の手伝いが好きでした。でも何が好きかって今思い返して思うことは親に褒められるのが嬉しかったのかなぁって思います。学校から帰っても、学校が休みでも親は仕事。宿でのお手伝いが親とのコミュニケーションの時間で一緒に居れる時間だったのかもしれません。当時は旅館の中で家族が生活していて旅館の玄関がうちの玄関、旅館一室が私の部屋で厨房が家族の台所、お風呂やトイレももちろんお客様と一緒です。小さい頃は「ただいまー」なんて言うと「おかえりー」ってお客さんに言われたり、朝、顔を洗いに廊下の洗面所に行くと「おはよう」と言われたり、お手伝いしていると「えらいね~」ってお客さんに褒めてもらえたり・・・。そんなお客さんとのやり取りが子供ながらに楽しかったのを覚えています。でも思春期になるとそれがメチャクチャ嫌で黒子のようにお客さんから見えないように生活していて、それがまたストレスで早く都会に行って一人暮らししたいって思っていました。これからの時代、さすがにお客様と宿の人の生活環境がそうじゃいけないと思っていたので、今回の改修工事で完全分離して自宅と分けたのですが、お客様と宿の人の意識的な距離感というか関係はそんな頃の雰囲気も大切にしたいと思っています。

 

 高校3年生になり、さて進路どうする?って考える頃。とりあえず都会で一人暮らし!って思いが先行して色々学校を探していると担任から「金宇、こんな学部もあるぞ」って教えてもらったのが立教大学の観光学部。さて、仕事は?って考えた時に一番素直に入ってくるのが、やっぱり幼い頃から触れてきた家業でした。家業を継ぐための明確なビジョンなんて無かったし、古い旅館で育った私にとってはこの建物は古くて不便なお荷物で早く壊してカッコイイ新築!なんて今思えば簡単に思っていました。在学中は宿泊産業論のゼミや学部の名前を使ってリゾートバイトして遊んだり、ホテルや旅館を見てまわったりして少しだけこの業界について知っていきます。そんな頃、たまに実家に帰って旅館を見ると以前の実家とは違う印象でこの建物が目に入ってきます。自分が住んでいた頃と何も変わっていないのに堂々たる木造3階建ての風格、代々手入れをしてきた庭。以前は当たり前の日常だった景色が特別な場所だったということに初めて気付きました。この建物や庭を丁寧に手を入れながら使い続けていくことができれば、きっといい旅館に出来るんじゃないか。3代前の初代がこの温泉を掘削することから始めた宿造りの想いに触れる度にその思いは強くなっていき、旅館を継ぐ決心が付きました。

 

 卒業後の就職先は当時那須高原にあった「二期倶楽部」という宿泊施設に出会います。那須高原の美しい自然とその広大な敷地に点在する本物の建築。ホテルの機能と旅館の情緒が同居する空間、不便をむしろ歓迎する美意識、自然と共存する宿の佇まい、素晴らしいスタッフのサービスマインド。当館とは全くスケールの違う施設でしたが、普通の旅館ではない「何か」を求めていた私にとって、二期倶楽部では本物の感性に触れる貴重な時間を過ごさせていただき、私の宿造りの基礎となっています。

 そして次に進んだ道は料理。父の代は家族で切り盛りする小さな宿で父が一人で料理をしていました。帰って宿を継ぐにはそもそも料理ができなきゃ話にならないと思っていたし、自分自身も興味が湧いてきた頃、那須高原の頃の伝手でご縁をいただいたのが「銀座KAN」というスタッフ5名ほどで切り盛りするカウンターの小さいな和食のお店。包丁も握ったことない自分でしたが、とりあえず皿洗いでもなんでもいいから料理の現場を知りたいという思いで入店させていただきました。1月半ほどした頃、先輩が1人辞めてしまいます。「マサ、明日からカウンター入れ」と店長。チャンスでした。もう休みも惜しんで我武者羅に働きました。お客様の前では先輩の見様見真似とちょっとのハッタリ。お陰で度胸が付きました。当時、一緒に働かせていただいた先輩は全員独立して今は素晴らしいお店を持っています。ここでも本当に人に恵まれました。何も知らない自分を受け入れてくれた社長と先輩方には感謝しかありません。

 

 入店し1年が経つ頃、父が病にかかりしばらく旅館の商売を休むことになります。実家に電話すると弱った父の声と宿の状況。まだまだ早いとは思いつつも帰って何とかしたいという思い。そんな中、学生時代からのパートナーだった妻は都内の航空会社で客室乗務員として働いていました。自分たちの先の人生と仕事。妻の決心もありお互い帰省して入籍し、金宇館を継ぐことになります。2009年、私たちの宿造りが少しづつ始まりました。

 

写真:最終営業日の私たち

 

1 / 11

 

コメント/トラックバック

トラックバック用URL

 

 

 

コメントする


※管理人にのみ通知

コメント

 

このページの上部へ